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「日本人形」…それは春の到来を喜ぶ意味に加えて、それらが美しいから、
可愛いから飾るというばかりではなく、人々の心の深みに存在する、
「平安時代」に対する強い憧れの表れであるかもしれません。
男女の内裏雛、その王朝振りの装束、さらに女官、随身、桜、橘、白丁、
時に雅楽の伶人などに、いずれも日本独特の美、すなわち和様美の完成した
平安時代を憧れた内容、表現を伺うことができます。
さらにそれらに武家の式楽として重んじられた能楽を演ずる五人林子、大名の婚礼
ち調達などが加わり、王朝の公家文化と武家文化との交わりをまた興味深く観る事ができます。
季節の変わるその節目に、人々に災禍をもたらす悪気を取り払う意味で、
人形などの形代を水に流したり、特に子供の健やかな成長を祈って、
人形を飾ったのに始まると考えられています。
ところが次第にその取り払いの本質は忘れられて鑑賞的な人形に変化してしまい、
室町時代の中期には雛の御殿をしつらえたり、酒宴をもうけたりした記述があるので、
江戸時代後期には、7,8段の大揃いを飾るようになったようです。
それは江戸地方の雛で、
上方では、対照的に2,3段飾りに御殿をしつらえるのが一般的であったようです。
江戸時代のしかも公家や武家社会の例として、特に近衛家や大名家では、
「徳川」、「井伊」、「毛利」、「備前池田」などの諸家によっても伝えられています。
大名家のそれらは、黒塗りや、梨子地に蒔き絵模様を表し、
大きさや蒔絵意師に粗密があったと考えられていますが、いずれも賛美をつくしたもので、
一方では、武家風俗をうかがう上で重要な資料となっています。
このように近世の雛祭りはたとえ町家で飾られるとも
公家、武家文化の相交じりあった世界を示しています。
しかしその根底には、平安時代そのものへの絶大なあこがれを表したものであり、
やがては「平安時代吉祥」とする近世特有の思考を、最も明らかにみることができます。
御所人形は、衣装をつけたものが多く、当時の風俗を伝えていて、興味深い。
また見立てと呼ばれる、能や狂言の舞い姿や英雄や豪傑などをかたどった、武家文化
の影響が強い高級品も多く作られました。
「この時代こそ」が、
最も日本の歴史上、日本文化を日本文化と世界にいわしめた時代であったのではないでしょうか。
そして、服、鎧、刀、化粧箱などの家財用具、これほどまでに、小さく、精密に、
ハイクオリティーに創られているものなど、この世界中にも、そうはみつかりますまい。
.....人形は、大切にすると、涼しい目許で私たちに語りかけてくれる
永遠の友達になります、
−そしてこれら小道具達や、時代が織り成す世界、ストーリーこそが−
より一層人形たちの存在価値に、まばゆい輝きを与えているのではないでしょうか。